Tenyu Sinjo.jp
   天祐 神助  トップページ  住友財閥史  大阪ウォーク  マイダイアリー   いちびり  プロフィール

   法善寺と郷愁を誘う法善寺横丁


   法善寺横丁

法善寺横丁/夜の法善寺横丁法善寺横丁は江戸時代、参拝者や芝居小屋に向かう客を目当てに茶店や露天が境内にできたのが始まりである。明治16年(1883)には織田作之助の小説で一躍有名になった「夫婦善哉」が、そして明治26年(1893)には同じく同小説で紹介されている「正弁丹吾亭」が創業している。また、法善寺横丁は昔、極楽小路と呼ばれていて、法善寺横丁と呼ばれるようになったのは、昭和15年(1940)に長谷川幸延が「オール讀物」で「法善寺横町」という小説を発表したことに始まる。幅が約2.7メートル、長さがおよそ100メートル弱の隘路である法善寺横丁が今に至るまで、多くの落後家や文化人、芸人に愛されてきたのは、かつて法善寺横丁に金沢亭と紅梅亭という寄席があったことと、左の写真を見てわかるように、肩と肩が触れ合うほどの狭い石畳の路地の風情がその理由と考えられる。(2つの寄席は後に吉本興業創業者の吉本吉兵衛・せい夫婦によって買収され、金沢亭は寄席“花月”に、紅梅亭は料亭“花月”になるが、のち閉館する。)
また、見落としがちであるが、法善寺横丁には織田作之助の句碑やヒットした「月の法善寺横丁」の歌碑など、この地に由来のある文学碑が建てられている。これらを見て歩くのも一興であろう。
今では休日の昼間は、お不動さん隣の夫婦善哉へ入る人が多く、夜になると料理屋、洋酒バー、串カツ屋、お好み焼き屋に入る人で毎夜横丁を賑わしている。少々金額が張る店から、お手軽な店まで色とりどりである。
その法善寺横丁も平成14年(2002)9月に旧中座からの類焼と、その後の火災という困難に直面するが、それらを乗り越え今では老若男女をとわず沢山の人がこの界隈を賑わし、大阪を代表する観光名所となっている。
 (冒頭の画像にマウスで夜の横丁)


平成の火災を乗り越えて
平成14年(2002)9月9日(月)午前3時過ぎ、旧「中座」の解体工事現場で、大阪市中央区道頓堀1丁目の旧劇場「中座」が爆発音とともに炎上し、鉄筋コンクリート造りの地上4階地下1階の同建物延べ約3千平方メートルがほぼ全焼し、隣接する南側の「法善寺横丁」の19店舗にも延焼、計約950平方メートルが焼けた。さに復興のめどがついた平成15年(2003)4月2日(水)午前10時55分頃、法善寺横丁の天ぷら店からの出火で2度目の火災が起こり、横丁路地南側の17店舗延べ約435平方mが焼けた。幸いにして横丁の中心にある法善寺は辛うじて難を逃れた。復興に際し、狭い横丁の路地が現行の建築基準法の規制にかかり、再建にあたっては現状2.7メートルの路地幅を4.0メートルに広げ る必要があったが、これまでの情
緒ある風情を残そうとする府民、文人、芸人による運動や30万人を超える人々の署名活動もあり、特例を適用して被災前の狭い道幅を維持したまま再建されることになった。営業を希望する全店舗が出揃たのは、1度目の火災から1年半後の平成16年(2004)3月27日であった。




法善寺横丁東門の看板 法善寺横丁西門の看板 横丁西門からの石畳
法善寺横丁東門
この看板は3代目桂春団治の筆によるもの。地図の緑丸の3番(この項目の最後に地図を張っています)。
クリックで看板裏の謝意
法善寺横丁西門
この看板の筆は藤山寛美によるもの。地図の緑丸の4番。
横丁西門からの石畳
法善寺に入るには東西の『法善寺参道』、東西の『法善寺横町』そして『浮世小路』の合計5カ所の入り口があります。

雨後の極楽小路 浮世小路 浮世小路の展示物
極楽小路
慈悲地蔵尊が左に見えます。
地図の赤丸のA。
浮世小路
横丁から道頓堀に通じる小路。地図の赤丸Fで、うどん屋今井の私有地。幅約1.2メートル
浮世小路の展示物
人がやっと1人通れる小路の壁面、天井には江戸から昭和にかけての展示物で彩られている。

夜の正弁丹吾亭 夫婦善哉 法善寺横丁案内地図
正弁丹吾亭
織田作之助の「夫婦善哉」で紹介されている。店名は店の前に肥桶(今の公衆便所)があったことに由来する。
夫婦善哉
織田作之助の「夫婦善哉」が映画化されたことにより全国的に有名になった。
夫婦善哉の由来
法善寺の地図
法善寺様ならびに成瀬國晴さま地図をお借りしました。画像をクリックすると拡大表示されます。


   法善寺横丁の文学碑

西田当百句碑 平田春一歌碑 織田作之助句碑
西田当百句碑
上記地図の赤丸B。
碑文と説明
平田春一歌碑
上記地図の赤丸C。元住友本店筆頭重役の川田順とも交流があった。
碑文と説明
織田作之助句碑
上記地図の赤丸D。
碑文と説明

ヒット曲「月の法善寺横丁」歌碑 花月席跡碑 岸本水府句碑
ヒット曲「月の法善寺横丁」歌碑
上記地図の赤丸E。月の法善寺横丁の歌詞が刻されている。平成10年建立。
藤島恒夫略歴(歌碑より)
花月席跡碑
上記地図の赤丸G。戦前この場所に南地花月があった。*1
花月席跡碑文
岸本水府句碑
上記地図の赤丸F。うどん屋今井の前に建てられている。
碑文と説明
*1 織田作之助の「夫婦善哉」に「法善寺の『花月』へ春団治の落語を聴きに行くと・・・」とりあり。


法善寺横丁敷石工事協賛碑
大阪市土木局  日本有線放送 東山氷室 
菊正宗 清酒白雪 アメリカン 
アサヒビール 大栄建設 相互商会  
キリンビール 南海電気鉄道  道頓堀四海楼  
サッポロビール 萬年社  法善寺四海楼  
サントリー 法善寺  くぎおか酒店  
白鶴酒造 大阪有線放送   


法善寺横丁敷石工事協賛碑
上記地図の赤丸H。右に協賛社名を記しておく。昭和57年(1982)8月建立



大阪ウォーク 法善寺のページへ   2/2





Copyright © 2010 Tenyu Sinjo. All Rights Reserved
.


inserted by FC2 system