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 架設後90年経過し修復が行われた堂島大橋。2020年2月1日に2年の工期を終えた。付近には大阪国際会議場や住友病院があります。



江戸時代の大阪は、「八百八橋大坂」といわれるほど川が縦横に張り巡らされ、そこに多くの橋が架け られました。江戸では約半分の橋が幕府によって架けられた「公儀橋」でしたが、大坂ではそのほとんどが町人によって架けられた「町橋」でした。今に通ずる中央から独立した精神はすでにこの頃から芽生えていたようです。

しかし、大阪の象徴である川も、高度成長期を前後にして、治水や環境の観点から、かなり埋め立てられ 、かつての風情は影を潜めた観があります。残念ですが、それも時代の流れというものなんでしょう。しかし、前代に築かれた自由で闊達な大坂商人の精神は、新しい企業、技術、商品、そして文化の創出につながり、今日の大阪は経済・文化の中心として日本を牽引するに至っています。

幸橋から道頓堀を眺望するまた、水運に恵まれた大阪は江戸時代、全国各地の商品が集積する物流商業都市としても発展してきました。中之島周辺には各地の蔵屋敷が建ち並び、堂島の米相場が全国の米相場の基準価格とされました。
株式取引においては、大阪証券取引所での株式時価総額は香港証券取引所を上回る世界6位となっています。そして大阪府の域内総生産は国内2位の39兆円、大阪市においては22兆円で、これは香港を上回り、ポーランド、ノルウェー1国に相当する規模となっています。

古くは難波津とよばれ、有史以前から多種多様な文化、技術を受け入れ発展してきたコテコテの町、大阪の情報を中心に発信していきたいと思います。

 *右の夜景写真は、宮本輝の「道頓堀川」で象徴的存在となっている「幸橋」から道頓堀を眺望したものです


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  • 「…幸橋となるんやけど、そのへんの橋に立って道頓堀をながめてみると、人間にとって何が大望で、何が小望かがわかってくるなァ…道頓堀が何やしらんネオンサインいっぱい灯ってる無人島みたいに見えるんや。ああ、俺はあんなところで生きてきてたんかて、しみじみ考え込んだよ。…いっぺん幸橋の上から道頓堀を眺めてみたらええ。昼間はあかんでェ、夜や、それもいちばん賑やかな、盛りの時間や…そこからこっちを眺めたら、いろんなことがわかってくるわけやな?…そうや、いろんなことや。花が咲いたり散ったり、夕陽が沈んだり星が光ったりするのを見てるよりも、もっと電撃的啓示を受けるわけや」

    「幸橋の真ん中まで行くと、邦彦とまち子は欄干に寄って、一直線につづいている夜の川の彼方の道頓堀の光彩に見入った。…なるほど、自分はあんなところで生きているのかと邦彦は思った。あんな眩い、物寂しい光の坩堝の中で生きているのか。…言葉が終わると同時に、まち子は邦彦に近づいてきた。ただ単に、まち子は顔をあげただけかも知れなかったが、邦彦はそこに顔を埋めていった。それはすぐに離れて行ったが、初めて嗅いだ口紅の匂いが、いつまでも邦彦の唇に残っていた。」 (宮本輝「道頓堀川」より抜粋)





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