Tenyu Sinjo.jp
   天祐 神助  トップページ  住友財閥史  大阪ウォーク  マイダイアリー   いちびり  プロフィール


   新町遊廓の仕組み


戦前の吉田屋新町遊廓の特徴の一つとして揚屋の豪華さがある。江戸時代の書物で「大阪新町細見之図 澪標」に「京の女郎に江戸吉原の張りをもたせ、長崎丸山の衣裳を着せて、大坂新町の揚屋で遊びたい」と書いている箇所がある。つまり島原の京美人に吉原の意気地をもたせ、丸山の絢爛な衣装を着せて、豪奢な新町の揚屋で遊んでみたい―これが遊客の夢だというのである。ここからもわかるように新町の揚屋の構えに島原、吉原はかなわなかったという。新町の主な揚屋は吉田屋、茨城屋、高島屋(この跡地に新町演舞場が建設され、現在では書籍取次ぎ大手の大阪屋の社屋になっている)であった。右の写真は戦前の吉田屋

揚屋は座敷を提供するだけで、遊女は抱えない。揚屋にいる客が、遊女を抱える置屋(寝食を行う遊女の日常生活の場でもある)に招請状を出して、遊興の場である揚屋に太夫や天神を招く。
また、揚屋には台所が設けられ、自家でつくった食事を客に提供することができ、1階の大座敷に面した庭には茶室も設けられている。これらが揚屋建築の大きな特徴でもあり条件ともなる。茶屋は、これらのものが備わっておらず、座敷を貸すだけで食事は仕出しや出前となる。

新町の遊女には4つの階級があった。最も格の高い遊女は太夫である。次に天神(天神はさらに3階級に分かれていた)、その次が鹿子位(正しくは囲と書く。島原では鹿恋と書いた)。一番下が端女郎(元禄期、端女郎はさらに3階級に分かれていた)であった。最も格の高い太夫といえば容姿や客あしらいが優れているのはもちろんだが、高級役人や富豪商人の社交の場、商談の場へ出る必要性から、また時には皇族や朝官、文人を相手にしなければならなかったため、歌舞音曲はもちろん、茶道、華道、香道、俳諧、和歌、書道、碁、双六にいたるまで精通する必要があった。また、実際に武家や貴族の子女も持ち得ない最上の教養と品性を身につけていた。大名や富豪の前へ出ても臆することなく凛とした態度で接することができたのはこれらのものを持ち合わせていたからである。

新町遊郭 揚屋での大尽遊び(みをづくしより)
新町揚屋での大尽遊び(みをづくしより)

揚屋に招かれるのは太夫と天神に限られた。しかし揚屋を利用するのは大尽客で、大多数の一般庶民が相手にしたのは「端女郎」だった。これは茶屋と置屋を兼業した店の中に座っている遊女を外から選んで店内に入り、狭い部屋で遊ぶというもので、店付女郎とも言われ、この階級には置屋が無かった。また、遊女の座る場所も位によって違ったという。ちなみに、非公認の遊所を江戸では「岡場所」といったが大坂ではこれを「島場所」といった。近松門左衛門の「曾根崎心中」で有名な曾根崎新地、堀江新地、難波新地、嶋之内などであったが、その他に江戸でいう夜鷹、辻君と呼ばれた最下級の淫売婦もいた。これを大坂では惣嫁(そうか)といって納屋などの物陰で筵を敷き、回りを折りたたみ式の草筵で囲って事に及んだという。

揚屋は主に九軒町と越後町の西側にあり、ことに九軒町は揚屋町と呼称されるほどであった。吉原ではその格式を維持するのに多額の費用がかかる太夫は宝暦期の中頃にいなくなっている。また、揚屋も無くなった。

新町遊廓の東西大門を出た所に各1箇所ずつ「足洗いの井戸」というものがあり、遊女が身請けされたり、年季を明けて廓外へ出るとき、この井戸で足を洗い、穢れを清めて堅気に戻ったという。この井戸を「花の井」といった。

吉田屋内部(みをづくしより)
九軒町の吉田屋内部(みをづくしより)


揚屋での様子。上2枚の絵図と同じく、こちらも江戸時代(元禄期)に描かれたもの。

ところで太夫は置屋から揚屋へ招かれるが、その道中のことを「太夫道中」と呼ぶ。道中では太夫の前方に禿を2人立て、太夫の後ろからは妓夫に大傘をささせ、脇には遣手(やりて)を従え、素足に三枚歯下駄をはいて、独特の八文字で道中を歩いた。上方では引舟といって、鹿子位女郎(かこいじょろう)を連れて道中した。これら煩雑なしきたりが示すように遊廓は単に肉欲を満たす場所ではなく、色々な秩序や決まりごとがある、格式高い社交の場であったともいえるわけである。そして、その中から日本を代表する文学や芸術作品が生まれてきたのである。

禿(かぶろ)は6~8歳ごろに遊廓に売られるなどして廓へ入り、高級女郎に従いて遊女教育を受けた。15歳位で新造(水揚げの済んでいない女郎)となり、さらに見習い修行を積むことになる。禿を経ず遊女になった者を「突出し」といった。

  遊女の階級           太夫    揚屋に招かれる。              花代 69匁
 天神  大天神  揚屋に招かれる。 茶屋へは出ない。      45匁
   端小天神  茶屋に呼ばれる。                  33匁
 見世天神  上に同じ。                      27匁
 鹿子位    茶屋 (呼屋) へ呼ばれる。            24匁
 端女郎  汐  以下一般人の対象となる店付女郎。         3匁
   影                                2匁
 月                                1匁
天神というと、ふつう大天神のことをいった。しかし、大天神は後になくなり小天神のみになった。
端女郎の汐、影、月は元禄期。
延宝年間における遊女の数は、太夫27人、天神69人、鹿子位89人、端女郎1017人。
その他、禿550人、遣手(やりて)629人となっている。 花代は宝暦年間。
*時代と出典により違いが出てくる。
吉原の階位はこちらをクリック


 置屋の階級     太夫置屋  扇屋  夕霧太夫がいた
   槌屋  綾鶴太夫がいた
 木村屋など  小太夫がいた
 天神置屋    
 鹿子位置屋
遊女を抱えておく店のことを置屋という。
太夫と天神は置屋に住み、客の招きで揚屋に上がった。
端女郎には置屋が無く、店付茶屋(茶屋と置屋が一緒になったもの)に住み込んで客をとった。

 
  茶屋の階級         
 揚屋  吉田屋
   大和屋
 高嶋屋など
 天神茶屋  
 鹿子位茶屋
 店付茶屋 
太夫と天神は、客の招きで揚屋に上がった。

▼太夫の身請け

太夫の身請けの様子(みをづくしより)
  
 






身請けの折には、女郎仲間と酒宴を催し、和歌、餞別が贈られた後、大門まで賑やかに送られ、出迎えの駕籠に乗って廓から出て行った。
写真をクリックすると拡大表示します。(画像:みをづくし)



大阪ウォーク 新町遊廓の目次へ 6. 九軒町の桜と餅つきへ  5/12





Copyright © 2010 Tenyu Sinjo. All Rights Reserved
.


inserted by FC2 system