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 島原遊郭揚屋 角屋の館内 (1)


京都 島原 角屋の玄関から中戸口を見る「角屋(すみや)もてなしの文化美術館」として公開されている角屋であるが、公開される期間が限定されている。春(3月15日~7月18日)と秋(9月15日~12月15日)のみで、1階(大人1000円)と2階(大人800円:平成24年〈2012〉現在)の入館料は別料金となっている。

券売機で入館券を買うと、職員から1階「松の間」において嶋原や角屋の歴史について解説があると言われ、集合時間が告げられる。その時間までしばし、建物内を見学すると良い。また2階座敷も見学する人は、胸に付けるワッペンを渡されるので、それを付けて時間になるまで同様に建物内を見学するとよい。解説時間は1階が15分、2階が30分程度。2階のみの見学はできない。

重要文化財に指定されているので見学時には壁、障子、襖などに鞄やバッグが接触しないように細心の注意を払う必要がある。また飲酒をして見学している初老の人もいたが、事無きを得たものの、案の定障子に体をぶつけ職員から注意を受けていた。飲酒後の見学は厳に慎まなければならない。

建物内の写真撮影は限定されている。2階はどの場所も不可、1階は全ての座敷を撮影できるが、硝子ショーケースに入った美術品や資料等は撮影不可。
(右上の写真は玄関〈来客用〉から中戸口をみたところ)



 1階 館内の間取り:館内地図(画像をクリックすると拡大)

京都 島原 角屋の館内 間取り案内地図
  
 





 外観

京都 島原 角屋の建物外観
  
 





揚屋建築としては唯一の遺構で昭和27年(1952)に国の重要文化財に指定
される。間口は約31メートルで2階建。
屋根は瓦葺きであるが、江戸時代天明年間に至るまでは、薄い板を何層にも重ねた柿葺(こけらぶき)であった。
 門口(かどぐち)

京都 島原 角屋の門口(かどぐち)
  
 





門口とは街路から人が出入りする門のこと。門は閉じられているが、開け放つと“角屋の紋を白抜きした”暖簾を吊るす中戸口(なかとぐち)を見入ることができる。上部柿色の大津磨き壁、その下部の腰簓子下見(こしささらこしたみ)との組み合わせから成り立っている。
 中戸口(なかとぐち:従業員用)

京都 島原 角屋の中戸口(なかとぐち)従業員用
  
 



門口を抜けると石畳が中戸口に続いており、角屋の家紋「蔓三つ蔦(つるみつつた)を染めた暖簾が下げられている。中戸口は台所に入る従業員用の玄関。中戸口の左には家紋を刻した石造りの用水と、二三(ふみ)に積まれた用水桶、その手前には宵を彩る燈籠がある。戸口の右には外を確認するための出格子窓と、手前に井戸がある。両脇の木は槐(えんじゅ)。
燈籠が建っている所を右へ行くと(石畳が続いている)客用の玄関に至る。
(写真は「角屋もてなしの文化美術館」公式サイトから加工転載。)
 玄関(来客用)

京都 島原 角屋の玄関(来客用)
  
 
上記の中戸口は従業員用であるが、こちらの玄関は来客用の出入り口である。門口を入って、直ぐ右に折れるとこの玄関に至る。玄関に向かって斜めに敷かれた石畳みの両側には黒石が並べられ、打ち水と相まって揚屋らしい雰囲気を醸し出している。玄関を上がって直ぐ左へ行けば帳場へ、廊下伝いに左へ折れれば中庭を右手に見ながら大座敷「松の間」と「臥龍松(がりょうのまつ)」のある主庭に、右へ折れれば直ぐに「網代(あじろ)の間」がある。玄関を上がると刀掛があるが、これは玄関を上がった客が一時的に掛けておくもので、預かった刀は後述する「帳場」後方の刀箪笥に仕舞われる。
 一階 網代の間(あじろのま)

京都 島原 角屋の網代の間(あじろのま)
  
 



天井板が網代の形状に組まれていることから、「網代の間」と称されている。広さは二十八畳で、欄間は障子が入った網組で飾られている。天井は行灯の油煙によって真っ黒に煤けており、天井の高さは思いのほか低い。写真には写っていないが左には火燈窓(かとうまど)を配した付書院(つけしょいん)が設けられている。また、網代の間からは西側の中庭を眺めながら遊宴を楽しむことができるようになっている。
 中庭(なかにわ)

京都 島原 角屋の中庭(なかにわ)
  
 






玄関から大座敷「松の間」へ向かう長廊下の右手に見える。ちょうど紅葉のシーズンということで綺麗に葉が色づいていた。石灯籠の奥に滑車が見えるが、これは飾井戸(飾井筒ともいう)で庭園に華を添えるものとなっている。
 一階 廊下

京都 島原 角屋の廊下(1階)
  
 






大座敷「松の間」から撮影したもの。突き当りは網代の間。日が暮れるにつれ壁に掛けてある行灯が間接照明の役割を果たし、おぼろに浮き上がった壁や廊下が遊客の心を別世界へといざなっていく。
 一階 松の間(画像の上にマウスを置いて別角度の写真)

京都 島原 角屋の松の間 大座敷
  
 


玄関から続く廊下の突き当りが、角屋で一番広い大座敷の「松の間」。座敷から主庭の臥龍松(がりょうのまつ)を観望できるためこのように称される。広さは43畳。
大正14年(1925)に一部を焼失し、翌年再建するが経年の巻戻しにより松の間のみが国の重要文化財指定から外れている。そのため、この座敷のみ空調設備が天井に埋め込まれており、夏は涼しく、冬は暖かい中で職員の解説を聞くことができる。文化財に指定されると、現状に手を加えることは困難になる。
 主庭と臥龍松

京都 島原 角屋の庭と臥龍松(がりゅうのまつ)
  
 

松の間から眺め観る主庭と臥龍松(がりょうのまつ)。右手には茶室の「曲木亭(きょくぼくてい)とその奥の清隠斎茶席(せいいんさいちゃせき)が見える。このように大座敷に面して広庭とお茶席のあることが揚屋の条件となっている。臥龍松は一本の幹から成り立っており、その美しさは江戸時代に描かれた図絵にも紹介されている。しかし初代の臥龍松は大正末に枯れてしまい、現在のものは二代目である。臥龍松は角屋の庭園七景の一つ。
平成22年(2010)4月1日、主庭が「京都市指定名勝」に指定された。
この松の幹の写真は、こちらからどうぞ。
 江戸時代に描かれた図絵 「松の間」と「臥龍松」(画像をクリックすると拡大)

京都 島原 角屋の江戸時代図会 都林泉名勝図会 松の間と臥龍松
  
 
都林泉名勝図会(みやこりんせんめいしょうずえ)
大座敷「松の間」で遊興にふける人達と、庭に降り積もる雪を丸めたり、雪投げをしている人達。禿(かむろ)が雪を丸めている姿も見える。松にも雪が積もっている。国貞や広重の浮世絵にも描かれたので
京名所として江戸でもしられる
右上には2階「青貝の間」の露台(バルコニー)から庭の様子を眺めている人達がいる。青貝の間は17畳あり、壁、床の間、襖、障子にいたるまで青貝が鏤(ちり)ばめられてある。角屋の座敷中最も格が高いとされる。
この図会は
江戸時代の寛政11年(1799)に描かれた。
画像をクリックすると拡大表示します。
 遊仙橋

京都 島原 角屋の遊仙橋
  
 




「松の間」の西側に設けられた亭(ちん)。松の間から伸びる錦帯橋のようなアーチ型架け橋を渡って入亭する。上記の江戸時代に描かれた「都林泉名勝図会」にも描かれている。
ここも松の間が火災の折、
焼失してしまったが、再建され現在に至っている。
遊仙橋は角屋の庭園七景の一つ。
 茶室の「曲木亭」と「清隠斎茶席」

京都 島原 角屋の茶室 曲木亭と清隠斎茶席
  
 





写真は主庭右奥の「
曲木亭(きょくぼくてい)」であるが、その裏手に茅葺きの「清隠斎茶席(せいいんさいちゃせき)」がある。揚屋の広庭(ひろにわ)にはこのように茶室が必ず設けられていた。
曲木亭は角屋の庭園七景の一つ。


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