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   天王寺動物園の歴史と沿革



天王寺動物園 ゲート 門【現在の動物園の場所で第5回内国勧業博覧会が開催される】
明治期、現在の天王寺動物園周辺に人はほとんど住んでいなかったが国の威信を掛けた「第5回内国勧業博覧会」が明治36年(1903)にこの地で開催されることになると周辺地域では大規模な開発が行われ、ことに博覧会閉幕後には一層の環境整備が行われ沢山の人々が集う歓楽街へと変貌していった。明治36年(1903)3月1日から同年7月31日まで開催されたこの政府主催の万国博覧会は開会式に明治天皇、皇后両陛下をお迎えし、これまで許されていなかった海外からの出品も許可されるなど入場者数が400万人を越えるものとなった。またこの博覧会で初めて建物に電飾が施され、夜間の来場も可能になり夜遅くまで人々で賑わったという。明治政府による殖産興業政策を目的として開催された内国勧業博覧会であったがその後政府主催によるものは昭和45年(1970)の大阪万博まで待たねばならなかった。

【新世界の開業と住友本家による邸宅地の寄付】
博覧会閉幕後、跡地の半分は整備された後、明治42年(1909)10月に大阪市で2番目の公園として開園した。なお初めて誕生した公園は明治24年(1891)に開園した中之島公園である。残りの半分の跡地は「大阪土地建物」に払い下げられ、現在の動物園の西側に歓楽地「新世界」が創設されることになった。エッフェル塔を模した通天閣を中心に、ルナパークと名付けられた遊園地や芝居小屋、映画館、飲食店からなる歓楽街がオープンしたのは明治45年(1912)7月3日のことであった。その後大正14年(1925)には慶沢園を含む茶臼山一帯12,940坪(内慶沢園全面積は約2,400坪)が住友家から大阪市へ寄付され現在の天王寺公園の面積に至っている。

【天王寺動物園の前身】
天王寺動物園の前身は明治17年(1884)11月、本町橋の大阪府立博物場内に動物檻が設置されたのが始まりである。動物展示の人気はしだいに高まり動物檻の面積は拡大されていった。明治36年(1903)には上記のように第5回内国勧業博覧会が開催され、その閉幕後ここで展示されていたライオン、ゾウ他7種の動物を購入する。しかし明治42年(1909)7月31日の「北の大火*1」の影響や以前から問題となっていた動物の鳴き声、臭い、脱走の危険性から大阪府議会でも取り上げられ結局動物檻を大阪市へ委譲することになった。そして大正3年(1914)6月の大阪市会で「動物設置に関する件」が可決、内国勧業博覧会跡地に動物園を作ることになった。工事はこの年の9月から始まり12月に完成する。約4ヶ月という短い工事期間であった。

 *1  大阪における明治以降の最大の火災。明治42年(1909)7月31日未明、北区空心町2丁目のメリヤス業者の家から出火。火は堂島川沿いに西へと燃え広がり1万1365戸を焼いて翌8月1日の午前4時頃に福島の堂島大橋北詰で鎮火する。北区役所・堂島米穀取引所・北浜銀行・堂島小学校が全焼した。

【現在の地に動物園が開園する】
大正3年(1914)12月26日開園式が挙行される。建設費は4万8723円で、その内動物購入費用は5千円。ところで本町橋の動物檻から天王寺の市立動物園へゾウを移すにあたり、4km弱の道のりを深夜、10時間もかけて歩かせたという。ゾウの行進を見ることができるとあって深夜にもかかわらず人々で賑わったという。
大正4年(1915)1月1日、日本で3番目の動物園「大阪市立動物園」として一般に公開される。ちなみに1番目の動物園は上野動物園で、2番目は京都市動物園。入園料は大人5銭、小人3銭、幼児無料であった。60種以上230点の動物が展示され、この年の入園者数約57万人、入園料収入2万5900円。

【悲劇の太平洋戦争中の動物園】
食糧難から、そして空襲による檻(おり)の破壊による市民への危害を考慮し、太平洋戦争中の昭和18年(1943)10月から猛獣類の殺処分が始まり、翌昭和19年(1944)3月15日に10種26頭の処分を終えた。ライオン、トラ、クマは、毒入りのエサを食べさせられ、苦しみながら死んだ。たが、1頭のヒョウだけは毒入りのエサを吐き出して食べようとしなかったので、やむを得ず飼育員が縄を首に巻き付けて絞め殺した。残された動物は、ヤギ、カモ、アヒルなどの家畜のみになった。また、食糧事情の悪化により園内の空き地では、サツマイモ、麦、野菜などが栽培された。昭和20年(1945)3月13日の大阪大空襲により園内に焼夷弾2000発が落下し、オオワシ他10種33点死亡。
戦争による犠牲は、罪のない動物にまで及んでいたのである。

【戦後の動物園にゾウの春子が来園する】
昭和25年(1950)4月14日、終戦後ほとんど動物がいなくなった動物園に戦後初めての外国産動物であるゾウの「春子*1」がタイ国から来園。一般公開された日の来園者数は6万人以上でダフ屋が出るほどの人気ぶりだったという。以降猛獣類など続々と来園する。昭和39年(1964)7月4日、大阪市立動物園を「大阪市天王寺動物園」に改称

 *1  春子(メス:推定66歳)は平成26年(2014)7月30日(水曜日)に死亡。平成26年6月20日から寝室より展示場へ出なくなり、7月30日には立てなくなり手当を試みるものの同日午後6時01分に死亡が確認された。8月31日まで展示場の前に献花台が設けられた。

【檻の中から放し飼いへと展示方法が変化】
昭和36年(1961)からそれまで動物を檻の中に入れて展示していたものから檻の無い放し飼い方式へと展示方法が変わっていくことになる。昭和60年代になると、植栽をしたり岩山を配置するなどして動物本来の生息する環境に近づけた展示方法へと発展。さらに現地調査に基づき、平成12年(2000)3月には総工費19臆円をかけて「アフリカサバンナゾーン草食動物エリア」を完成させ、平成18年(2006)8月には総工費7億8千600万円をかけて「アフリカサバンナゾーン肉食動物エリア」を完成させた。これらは動物が実際に住んでいる地形や植物などの環境を可能な限り再現して様々な草食動物を一緒に飼育し、また肉食動物との飼育場所を隣接させることでアフリカのサバンナの景観と生態系を表現したものである。
平成15年(2003)10月には総工費13億円をかけてアジアゾウを放し飼いした「アジアの熱帯雨林ゾーン」を完成させている。


天王寺動物園 アジアの熱帯雨林ゾーン 天王寺動物園 アジアの熱帯雨林ゾーン ビルマニシキヘビ  天王寺動物園 アジアの熱帯雨林ゾーン ゾウの塩なめ場
アジアの熱帯雨林ゾーン
タイのチャーン・ヤイ山国立公園を模したゾウの住む森。この森を抜けるとゾウの住んでいる場所がある。
ビルマニシキヘビ
ヘビはイミテーションだが、アジアの熱帯雨林ゾーンにはこのような生態系を表現した仕掛けが随所にある。
ゾウの塩なめ場
こちらも熱帯雨林ゾーンの仕掛け。
アジアゾウは土を食べて不足する塩分やミネラルを補給している。

天王寺動物園 ゾウ 天王寺動物園 アフリカサバンナゾーンの草食動物 天王寺動物園 アフリカサバンナゾーンの肉食動物 ライオン
アジアゾウが住む場所
いろいろな仕掛けがある熱帯雨林を抜けると目の前にゾウの住む場所が開ける。
アフリカサバンナゾーンの草食動物
アフリカサバンナゾーン草食動物エリアではキリンやガゼル、シマウマなどが一緒に暮らしている。
アフリカサバンナゾーンの肉食動物
草食・肉食のサバンナゾーンは東アフリカの国立公園をモデルとし、できるだけ自然に近づける形で飼育されている。

年表
 明治17年(1884)11月  大阪府立博物場内に動物檻が設置される。
 大正 3年(1914) 6月  大阪市は大阪府から附属動物檻の移管を受けることを決定。
              9月  動物園の建設工事が始まり12月に完成する。
             12月26日  開園式が挙行される。
 大正 4年(1915) 1月 1日  大阪市立動物園として一般に公開される。
 昭和 7年(1932) 7月  チンパンジーの「リタ」が入園。後に名演技の様子が皇室に献上される。
 昭和17年(1942) 6月11日  エサ不足によりゾウがあいついで死亡する。
 昭和18年(1943)10月  この年から翌昭和19年3月15日の間に猛獣類10種26頭が殺処分される。
 昭和20年(1945) 3月13日  大阪大空襲により園内に焼夷弾2000発落下。オオワシ他10種33点死亡。
 昭和25年(1950) 4月14日  タイ国から戦後初めての外国産動物であるゾウの春子が来園。
 昭和36年(1961) 4月 1日  この年度から檻の無い放し飼い方式へと展示方法が変わっていく。
 昭和39年(1964) 7月 4日  大阪市立動物園を「大阪市天王寺動物園」に改称。
 昭和49年(1974) 7月 5日  日中国交回復記念としてタンチョウとモウコガゼルを受贈。
 平成 元年(1989) 6月 1日  オーストラリアからコアラ3頭が来園。7月1日に一般公開。
 平成 2年(1990) 2月24日  組織が統合され「天王寺動植物公園事務所」となる。
 平成 5年(1993)10月14日  日本動物園水族館協会の総裁秋篠宮殿下が天王寺動物園を御視察された。
 平成12年(2000) 3月  総工費19億円の「アフリカサバンナゾーン草食動物エリア」が完成。
 平成15年(2003)10月  総工費13億円のゾウ舎「アジアの熱帯雨林ゾーン」が完成。
 平成18年(2006) 3月  551の(株)蓬莱がホッキョクグマのゴーゴを寄贈。
 平成18年(2006) 7月16日  有料入園者が開園92年目で1億人を越えた。上野動物園に次いで2番目。
 平成18年(2006) 8月  総工費7億8千6百万円の「アフリカサバンナゾーン肉食動物エリア」が完成。
 平成26年(2014) 7月30日  アジア象の春子が午後6時01分に死亡。推定66歳であった。


入園料
 改定年月日  大人  小人   無料
 大正 4年(1915) 1月 1日    5銭   3銭  幼児無料
 大正 9年(1920)   10銭   5銭  幼児無料
 昭和 9年(1934) 3月1日   15銭   5銭  幼児無料
    21年(1946) 4月1日    1円  50銭   幼児無料
    22年(1947) 8月1日    2円    1円   幼児無料
    23年(1948) 2月1日    6円   3円  幼児無料
    23年(1948) 8月1日   10円   5円  幼児無料
    24年(1949) 9月1日   20円  10円  幼児無料
    26年(1951)10月1日   30円  15円  幼児無料
    28年(1953)10月1日   40円  20円  幼児無料
    40年(1965) 4月1日   60円  20円  幼児無料
    45年(1970) 4月1日  100円  20円  幼児無料
    47年(1972) 4月1日  100円  昭和47年以降、中学生以下無料。

 平成23年現在、中学生以下、市内在住65歳以上の人、
 身体障害者手帳等所持者は無料となっている。      
    51年(1976) 4月1日  200円
    56年(1981) 4月1日  300円
    61年(1986) 4月1日  400円
 平成 4年(1992) 4月1日  500円
 平成23年(2011)現在  500円
 *昭和33年(1958)9月1日より中学生はそれまでの大人から小人の料金になる。



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