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住友家全額寄付による大阪図書館の創立

大阪図書館(大阪府立中之島図書館)正面明治32年(1899)大阪府知事菊池侃二が府の教育10ヵ年計画の中で図書館新設を提案した。第15代家長住友吉左衛門友純は、その予算が提出された同年、明治33年(1900)2月10日、図書館建設にあたり、建築費15万円、および10ヶ年度割の図書購入基金5万円寄付を申し出る(*1)。この寄付採納の議案は同年3月大阪府議会で可決された。この寄付の額は府の予算の数倍の規模であった。

設計は30歳の野口孫市で、後に日高絆が技師として手伝う。野口は一年にわたる欧米の建築視察を終えると住友本店に雇われ、最初の仕事が、住友家須磨別邸と、この大阪図書館の設計であった。明治33年(1900)11月27日、地鎮祭挙行。明治37年(1904)1月に竣工。同年2月25日、文部大臣代理田中稲城帝国図書館館長(*2)、大阪府知事、大阪市長、住友吉左衛門ら多数の来賓出席のもと開館式が挙行された。同年3月1日から一般公開を開始する。入館して本を閲覧できるのは12歳以上に限られ、また有料であった。普通閲覧券は一回2銭、特別閲覧券は5銭でそれぞれ回数券があった。

本館の増築
その後再び、住友吉左衛門の寄付により、本館両翼部の増築と本館中央部分の改修が行われる。大正9年(1920)11月起工、大正11年(1922)10月に全工事が完了し、今日の図書館の姿となった。昭和49年(1974)には本館と左右両翼の2棟が国の重要文化財に指定されている。設計は日高絆が担当した。なお、太平洋戦争における大阪大空襲において書庫前に焼夷弾が着弾するが、消し止めることができ、大事には到らなかった。


 *1 実はこれに先んじて、明治33年(1900)1月6日、吉左衛門は本家に重役を集め、大阪市に図書館を設ける必要があり、独力を以ってこれを寄付する意向を伝え、総理事伊庭貞剛、理事田辺貞吉に、市または府と交渉することと、建設の方法研究を命じている。
 *2 帝国図書館は、現在の国立国会図書館の前身。
 **  開館当時は「大阪図書館」、明治39年(1906)に「大阪府立図書館」、昭和49年(1974)に「大阪府立中之島図書館」に改称された



   図書館にゆかりのある人たち


第15代家長 住友吉左衛門友純

住友吉左衛門友純元治元年(1864)~大正15年(1926)

京都の公家右大臣徳大寺公純(きんいと)の六男として生まれる。名を隆麿(たかまろ)といった。

長兄は内大臣で明治天皇の侍従長でもあった徳大寺実則(さねつね)、次兄は、外交官を歴任し、文部、外務大臣、そして第12、14代内閣総理大臣を勤めた西園寺公望。西園寺公望氏は幼時に明治天皇の遊び相手をつとめ、明治天皇の信任も厚かったという。


住友家では明治23年(1890)11月23日に48歳の友親、同年11月30日に19歳の友忠が相次いで病死し、そのため急遽明治23年(1990)12月に12代当主友親の夫人の登久が14代を継ぐ。このとき住友家には、祖母、登久、娘二人(17歳の満寿〈ます〉と11歳の三女)の4人の女性しか残っていなかった。そこで、徳大寺隆麿を満寿の婿養子に迎えることになったのである。

婿養子の話に隆麿は「私が家を継いでつぶしたらどうしよう」と心配したそうだが、後に総理事になる伊庭貞剛に「たかが銅を吹いて儲かった家です。つぶしてもらって結構です」と言われたので気持が楽になり婿の話を快諾したという。

隆麿は明治25年(1892)4月、学習院在学中の29歳の時に満寿と結婚して住友家の養嗣子となり、翌年4月、住友家15代を相続、名前を住友吉左衛門友純と改めた。男爵。号は春翠

なお余談になるが、吉左衛門友純氏は、明治36年(1903)3月1日から同年7月31日まで、大阪の天王寺で開催された第五回内国勧業博覧会の会長に就任している。この時の博覧会場の跡地の東半分約4万5千坪が天王寺公園となった。西半分の新世界には、明治45年(1912)7月3日、パリのエッフェル塔を模して初代「通天閣」が建設された。この通天閣という名前は、勧業博を誘致した土井通夫の名前に由来するものであるというのが定説であったが、1985年になって、儒学者の藤沢南岳氏の遺族の証言により、通天閣を建設した大阪土地建物が、同氏に命名を依頼したという事実が判明する。

また、政府主導の下、殖産興業政策として開催された博覧会であったが、その建設のために全国から集まってきた労働者がそのまま残り、「釜ガ崎」という現在に至るまでのスラム街を形成している。



川田 順(実業家・歌人)
明治15年(1882)~昭和41年(1966)

 川田順の府立図書館50周年賀歌の歌碑  難波津の
まなかに植ゑし
智慧の木は
五十年を經て
大樹となりぬ
第一高等学校を経て東京帝国大学文科大学に入学。その後法科に転じ明治40年卒業。

同年住友本店に入社。実業家として活躍する一方、歌人として近代短歌史上に大きな足跡を残した。昭和5年常務理事、昭和11年筆頭重役で退職する。

昭和17年歌集「鷲」で第1回帝国芸術院賞。戦後は毎日歌壇などの選者を務める。昭和26年「住友回想記」、昭和27年「川田順全歌集」が出版されている。

昭和29年(1954)に図書館創立50周年を記念して、氏より右写真横の「府立図書館50周年賀歌」が献呈された。
水で満たされた中央の石にその賀歌が刻されている。
この歌碑は昭和42年(1967)、住友系18社で建てられ、図書館に寄付贈与された。



   館内の様子


中央ホールから正面階段を望む 中央ホールから続く廊下 斜めから図書館を眺める
中央ホールから左右に広がる階段。中央に、従四位勲二等 男爵 住友吉左衛門友純による、図書館増築に対しての「増築寄附記」が掲げられている。同上部には図書館建築に対する、巨大な銅版「建館寄附記」が掲げられている(銅板の下部のみが写っている)
中央ホールから続くレトロな雰囲気の廊下。大阪府庁の廊下と同様の造りで、扉は木製である。 斜めから図書館を眺めた様子。青銅色のドーム天井が見える。


中央ホールのドーム天井   ドーム天井に哲学者、八哲の名前が書かれている 写真上部ドーム天井の白と白の間(中間帯)には八哲、菅原道真、孔子、ソクラテス、アリストテレス、シェークスピア、ダーウィン、カント、ゲーテの名が刻されている。図書館を八聖殿になぞらえ、哲学者井上哲次郎が撰名した。
写真右には銅製の彫像が見える。これは「野神像」で、人間の野生を表現している。もう一体、写真には写っていないが知性を表現し、広げた書物に眼差しをむた「文神像」がある。彫像が置かれたのは、大正11年の増築時で、作者は長崎の「平和祈念像」で知られる北村西望。昭和33年に文化勲章受賞。 
中央ホールのドーム天井。中世の聖堂を思わせるような造りになっており、簡潔ながらも彩られたステンドグラス調の天井トップが美しい。
 



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