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統計資料 |
各遊廓の貸座敷数累年比較表
遊 廓 名 |
南地五花街名称 |
大正5年 |
大正7年 |
大正10年 |
新 町 |
|
283 |
264 |
242 |
堀 江 |
|
190 |
182 |
171 |
松 島 |
|
286 |
286 |
275 |
飛 田 |
|
‐ |
58 |
125 |
曾根崎新地 |
|
169 |
175 |
179 |
南地五花街 |
宗右衛門町 |
75 |
71 |
65 |
|
九朗右衛門町 |
125 |
116 |
104 |
櫓町 |
40 |
38 |
34 |
阪町 |
109 |
101 |
94 |
難波新地 |
255 |
250 |
232 |
合 計 |
|
1,532 |
1,541 |
1,521 |
*
* |
飛田は大正5年(1916)5月、遊廓地として許可指定され、大正7年(1918)に創設する。よって、大正5年の統計は無い。
飛田と曾根崎新地を除けば、貸座敷は減少している。これについては廃業は許可するものの新規の開業については許可しなかったためである。 |
各遊廓の芸妓/娼妓数累年比較表
遊 廓 名 |
南地五花街名称 |
大正5年 |
大正7年 |
大正10年 |
新 町 |
|
826 |
643 |
1,020 |
728 |
812 |
654 |
堀 江 |
|
470 |
127 |
596 |
101 |
580 |
98 |
松 島 |
|
78 |
3,804 |
118 |
3,869 |
102 |
3,913 |
飛 田 |
|
‐ |
‐ |
0 |
92 |
73 |
1,429 |
曾根崎新地 |
|
568 |
0 |
727 |
0 |
981 |
0 |
南地五花街 |
宗右衛門町 |
466 |
12 |
663 |
14 |
649 |
11 |
|
九朗右衛門町 |
448 |
160 |
506 |
117 |
537 |
105 |
櫓町 |
0 |
71 |
0 |
75 |
0 |
81 |
阪町 |
147 |
197 |
232 |
32 |
297 |
209 |
難波新地 |
232 |
616 |
301 |
580 |
192 |
609 |
合 計 |
|
3,235 |
5,630 |
4,163 |
5,608 |
4,223 |
7,109 |
*
*
* |
飛田は大正5年(1916)5月、遊廓地として許可指定され、大正7年(1918)に開基した。よって、大正5年の統計は無い。また、飛田は娼妓数が大正7年の92人から数年後の大正10年には16倍の1429人へと急増し、めざましい発展をしているのがよくわかる。
曾根崎遊廓は明治42年の大火後、日本基督教婦人矯風会の林歌子を中心とした廃娼運動により翌年廃止された。
大正5年から10年にかけて、芸娼妓の数が増加しているが、これは大正3年(1914)から大正7年(1918)まで続いた第一次世界大戦による大戦景気が反映されたものである。成金と呼ばれる人々が誕生した時代でもあった。この好景気は大戦後の大正9年(1920)3月まで続いた。 |
大正10年における遊客数及び遊興費
遊 郭 名 |
南地五花街名称 |
遊客数(人) |
遊興費総額(円) |
1人平均額(円) |
新 町 |
|
300,256 |
1,961,692 |
6.53 |
堀 江 |
|
129,476 |
1,477,762 |
11.41 |
松 島 |
|
1,879,167 |
7,191,418 |
3.83 |
飛 田 |
|
595,029 |
1,944,132 |
3.27 |
曾根崎新地 |
|
163,902 |
3,046,800 |
18.61 |
南地五花街 |
宗右衛門町 |
94,780 |
1,513,950 |
15.97 |
|
九朗右衛門町 |
98,660 |
1,224,860 |
12.41 |
櫓町 |
20,890 |
303,000 |
14.50 |
阪町 |
82,670 |
1,144,800 |
13.85 |
難波新地 |
407,220 |
3,501,990 |
8.59 |
合 計 |
|
3,772,050 |
23,310,404 |
( 1人平均) 6.18 |
*
|
松島、飛田など娼妓を主体とする遊廓は客数も多く、特に松島だけで全遊客数の半分を占めるが、一人平均の遊興費においては松島、飛田は最下位にある。これに対して芸妓を主体とする曾根崎新地、宗右衛門町、堀江、九朗右衛門町は娼妓を主体とする遊廓に比べると遊客数は少ないが一人平均の遊興費は数倍に達している。 |
大阪市の赤線地区における業者数及び女性数
昭和31年(1956)売春防止法公布時におけるもの |
名 称 |
旧 所 在 地 |
業者数 |
女性数 |
呼称 |
飛 田 |
西成区山王 |
203 |
1,350 |
女給 |
松 島 |
西区本田 |
195 |
1,020 |
女給 |
今 里 |
生野区新今里 |
216 |
500 |
芸妓・女給 |
住 吉 |
住吉区南加賀屋 |
85 |
70 |
接客婦 |
港 |
港区東田中 |
32 |
190 |
芸妓 |
合 計 |
|
731 |
3,130 |
‐ |
*
|
余談になるが、廓内を周囲から隔絶するため(隠すため)に設けられた塀は現在でも、大阪の飛田新地東端の上町台地の絶壁(通称、嘆きの壁)に見ることができる。かつて、この断崖の上の道に沿って、あいまいや風スタンドバーの建物がお尻を遊廓側へ出し、そのままでは建物が下へ落ちるため、崖下の遊廓路面につっかい棒をして、建ち並んでいたのだが、阿倍野再開発により立ち退きになった。そのままでは、遊廓一帯が一望の下に晒され、周囲の環境に悪影響を与えるということで、昔のような無骨なコンクリート塀ではなく、モダンな塀が立てられ、一般の人々の目に触れないよ
うに遮蔽されている。これはまさに現代版嘆きの壁だ。 |
大阪市の青線地区における業者数及び女性数
昭和31年(1956)売春防止法公布時におけるもの |
地 域 |
旧 所 在 地 |
業者数 |
女性数 |
業態 |
飛田周辺地区 |
西成区 山王・東田・松田町周辺 |
113 |
180 |
旅館・娼家 |
大阪駅周辺地区 |
阪神百貨店裏周辺 |
18 |
40 |
小理屋・飲食店 |
大淀地区 |
天六・吉山・長柄中通周辺 |
15 |
20 |
娼家 |
合 計 |
|
146 |
240 |
‐ |
*
|
赤線地帯とは売春が公認されていた場所で、所轄警察署において地図上を赤い線で囲っていたことに由来する俗称。青線地帯とは非公認で売春行為を行っていた飲食店街をいい、地図上を青い線で囲っていた。
赤線地帯の女性達が女給・芸妓・接客婦と呼ばれたのに対し、非公認の下で不特定の相手と金銭の授受を介して性交為を行う青線地区の女性達は「売春婦」と呼ばれた。公娼制度廃止に関してはこちらからどうぞ。 |
赤線地区及び青線地区以外の業者数及び女性数
昭和31年(1956)売春防止法公布時におけるもの |
地 域 |
旧 所 在 地 |
業者数 |
女性数 |
業態 |
飛田周辺地区 |
西成区 山王・東田周辺 |
73 |
140 |
旅館・娼家・下宿屋 |
日本橋地区 |
日本橋一丁目・高津・下寺町周辺 |
11 |
65 |
旅館・娼家 |
曾根崎地区 |
吉山・高垣町周辺 |
17 |
75 |
娼家 |
難波地区 |
新川元町周辺 |
7 |
25 |
旅館 |
京橋地区 |
京橋駅周辺 |
7 |
20 |
旅館 |
合 計 |
|
108 |
300 |
‐ |
*
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上記は代表例で、市内各所に業者及び女性達が散在していた。 |
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